ガイアの水135浄水器で「水探しの旅」が終わった理由②

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室長おかてつです。

「良い水は何だろうか」という「水探し」が終わったお話です。

「良い水」って「これは良い水だ。なぜならば〇○」っていう「良い水である証明書」が必ずありました。「悪い水」も同じでした。「〇〇だから悪い水だ」

この「悪い水」から逃げて「良い水」に向かおうと思ってしまう「思考」

この「悪い水」と「良い水」の種類が変わるだけでグルグルグルグルでした。

「絶対的な水」なんてあるのでしょうか?

これだけ色々なミネラルウォーターや浄水器があるなかで、どれがいいのか分かりません。

どれもが「良い水証明書」を独自に発行している。すべて素晴らしい水に思えてしまう。

でも、

どのミネラルウォーター、どの浄水器も「悪い水証明書」を踏み台にして「良い水証明書」を発行しているように見える。

「これが良い水」を証明するためには「これが悪い水」を証明することが必要。

そもそも水に「良い・悪い」とか「正しい・間違い」ってある?それをしているのは人間の思考だけじゃないの?

二極化して、分離相手と闘って、まるで自分対自分。エンドレスな闘い。本当にエンドレス。

僕自身がそうだったんだ。そういう追及しか出来なかったんだと。頭で考える世界ってこれしかなかったんだ。

しかし「絶対的な水」があった!と言いたい。

実際、わたしの水探しの旅はGOALして終わった。そう感じています。

それは「頭で考える良い水」など及ばないものでした。いや、もともと考える必要すら無い「水」でした。すぐそこにあるものだからです。

なぜなら、われわれの身体を創造した存在(地球)は、生きるのに必要なすべてを準備したはずだから。

それは、食べ物、空気、水など。しかも、私たちの身体を健全に維持させる完璧な完成されたシステム。

そう考えると、「最初から完成されていたシステム」こそ「絶対的」ではないかと直感するんです。

私たちの生活での絶対的な水、それが「湧き水」です。

あ、感動していることがあるんですよ。「雨が相当降らなくても川の水が涸れない。何故?」って思ったんです。川・・・涸れてしまったら生き物は生きていけないです。だから決して涸れることがないように「地層にたっぷりと水を溜めている仕組み」なんですね!

水の心配ってしなくてよいように作られている。。完璧です。

良いとか悪いとか、上とか下とか、思考がモノ申す余地すらないです。

ガイアの水135がどういうコンセプトなのかっていうと「湧き水理論」です。

ここから、わたしの体験を話しますが、

わたしは「公害防止管理者水質1種」という国家資格を持ってます。排水処理の国家資格です。大学院生時代に合格しました。その知識から「汚れがない水が一番」って思っていました。

ずっとこの知識を疑わずにいました。。。

続きます。

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